2025/12/14「私の心は神をたたえる」ルカによる福音書1:39~56 牧師 太田好則

◇ザカリヤの家でマリアは、エリサベトに挨拶する。二人の会話には、普通のおしゃべりとは違うところがあった。マリアには聖霊が降っていた。その挨拶を聞いた時、エリサベトの胎内にいる子が躍り上がった。エリサベトも聖霊に満たされ、天使がマリアに告知したことをすべて悟った。マリアの内にある聖霊と、エリサベトの内にある聖霊が共鳴し、美しい会話が織りなされていった。

◇これは私たち、キリスト者同士の会話の良い見本である。パウロは「霊に満たされ、詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い」なさい、と勧めている(エフェソ5:19、新共同訳)。また「あなたがたは神の神殿であり、神の霊が自分の内に住んでいることを知らないのですか。」とも指摘する。私たちキリスト者には聖霊が与えられている。だから自分の中にも、相手の中にも聖霊がおられると信じるならば、互いに敬意をもって、生き生きとした言葉で語り合うことができるのである。

◇エリサベトの言葉は「あなたは人間のうちで祝福された方です。主はあなたのために大いなることをなされたからです。」と、すべての人に展開できる。神様は、あなたを教会に招き、信仰を与え、洗礼を受けるようにしてくださった。それは一つの奇跡であり、大きな祝福である。

◇マリアは自分の存在全体で神様を大きくする、と言う。神様を、全身全霊をもって賛美できない人は、捨てきれない何かを握りしめている。そう感じたら、祈ればよい。どうか神様を優先できるように助けてください、と祈るのである。神様に感謝の言葉を述べることも、神様が自分にしてくださったことを証しすることも賛美である。詩、俳句、短歌を用いて神様をたたえることもできる。

◇神様をたたえることは、年齢を問わず、誰にでもできる。経済的に豊かな人にも、そうでない人にもできる。どこででもできる。それは天の国での賛美の練習でもある。いつでも、主を求める健康な心を持ちたいものである。喜びにあふれて、全身全霊をもって神様を賛美したいものである。