2025/11/23「主イエスの死が、働きかけている」ヨハネによる福音書19:31~42 牧師 古屋治雄

◇戦争、災害、事故による死、病による死…死は生きている人々に様々な衝撃を与える。主イエスの十字架の死の直後、死刑を求めた人々は目的を達成したと考えてその場から立ち去った。主に従っていた婦人たちは十字架のそばで悲しみに打ち沈んでいた。
◇しかしユダヤ人指導者たちも十字架のところにやってきた。夜が来る前に死体を木から降ろす必要があったからである(申命記21:23)。一緒に十字架にかけられた罪人達はまだ息があり、死を早めるために脚を折られた。しかし主イエスはすでに死んでおられた。「兵士の一人が槍でイエスの脇腹を刺した。すると、すぐ血と水とが流れ出た」(34節)。その場には主イエスの愛弟子がいた。「それを目撃した者が証ししており、その証しは真実である」(35節)。
◇脇腹から流れ出た血と水から私たちは聖餐の恵みと洗礼を思い起こす。ヨハネ福音書は「永遠の命に至る生ける水」のことに何度も触れておられる。聖書において血は命を表す。主イエスは死に際して「成し遂げられた」と言われた。主の十字架の死には、その血と水により永遠の命を与えてくださった神の真実が示されている。
◇高名な議員であるアリマタヤのヨセフとニコデモは、主イエスの仲間とみなされる危険を冒して遺体の引き取りと葬りを願い出た。二人は神の国を待ち望んでいたが、主イエスの弟子であることを公言できないでいた。しかし主イエスの死は、今まで勇気を出せなかった二人に力を与えたのである。
◇主イエスの十字架の死は、今日の私たちをも突き動かす。パウロは語る。「私たちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかる者となりました。それは、キリストが父の栄光によって死者の中から復活させられたように、私たちも新しい命に生きるためです」(ローマ6:4)。十字架の場にいなかったペトロは復活の主イエスによって変えられた。私たちも主イエスの十字架の死と復活によって新しい命に生かされている。