2025/08/17 「御子の祈りに守られている私たち」ヨハネによる福音書17:1〜17  牧師 古屋治雄

◇8月は祈る機会が多い。私たち人間の内に「祈 りの心」というものがあることを、積極的に受け止 めたい。祈りの言葉は、普通の会話、説明、討論 の言葉ではない。直接の言葉かけ、というよりも、 心配している人のことを覚えていれば、それはお のずと祈りの言葉になるのである。こうした思いを さらに呼び起こし、聞いてくださる方の存在を はっきりと認識して祈りたい。私たちはこうした祈 りに、互いに支えられて生きているのである。

◇祈りは私たちの信仰生活の大切な実践であ る。一方で今日の聖書箇所は、私たちのために 主イエスが祈って下さっていることが示されてい る。主イエスは、洗足のできごとの後、弟子たち に親しく語りかけ、弟子たちのために祈ってくだ さるのである。主イエスは私たちのためにも祈っ てくださっている。共観福音書のゲツセマネの祈 りでは、「しかし、私の望みではなく、御心のまま に(マルコ14:36)」という祈りに中心があるが、ヨハ ネによる福音書では、主イエスが父なる神様から 遣わされて来た使命が明確に語られている(17:1 -2)。特に、弟子たちに永遠の命を与えてくださる と約束してくださっている。主イエスが弟子たちを 選び、神の国の恵みの支配が始まっている中に 生きる者としてくださった。そして主イエスはこの 弟子たちを徹底して愛し抜き、父なる神様に執り 成してくださっている。

◇そして主イエスは驚くべきことに、この祈りの中 で、弟子たちに復活後に担うべき新しい使命を 先取りして託しておられる。弟子たちは、この時 には主イエスの御心をまったく理解できていな かったにもかかわらず、その祈りに守られ支えら れていたのである。そしてこの主イエスの祈りは、 教会の時代になって、すべての主イエスを信じる 者たちのためにも同じように祈り続けられ、私た ちにも確かに及んでいる。

◇私たちがこれらの主イエスの祈りに支えられて いることを知るとき、もはや主イエスと切り離され た存在ではあり得ない。この主イエスに全面的に 信頼し、すべてを委ねて主イエスの弟子としての 歩みに進んで行こう。