◇戦後80年の今年、教団は在日大韓基督教会と連名で「2025年 日本基督教団・在日大韓基督教会平和メッセージ」を公表した。また教団常議員会は「戦後80年にあたって、平和を求める祈り」を公表した。その中で、1945年8月15日が敗戦、終戦、光復と様々に呼ばれることの意味を噛みしめ、私たちは誰の痛みを受け止めたのか、私たちに苦悩と痛みを被った人々の声を聴く耳があったのか、と問いかけている。また、何千万の命が奪われ、傷つけられたことを深く悔い改め、二度と過ちを犯さぬようにと願っている。しかし今なお、多くの戦争、内戦があり、1億人が難民になっている。私たちはそれでも、復活の主が平和へと導かれることを信じ、イデオロギーや歴史観の違いを超えて、御前に立ち、平和に仕える者とされるように、と主に憐みを乞うのである。この表明は教団として、主の教会の歴史を担う者としての表明である。たとえ見解が異なっていても、私たちは主イエスによってこの表明に招かれている。日本は80年間、本格的な戦争をしなかった。しかし直ちに恒久平和に向かっていない現実もある。私たちは神の救いの歴史を担う者として、どう歩むべきかが問われている。
◇第2イザヤは王国が滅亡し、主な働き人が捕囚として連れ去られるという出来事の中で、捕囚は終わる、故郷に帰還できると語る。捕囚は神の裁きではあるが、その中で慰めを語り、新しい計画へと呼びかけるのである。帰還できるとしても、人々の関心は、どう生き延びるか、どう生活を再建するのか、といった点に向けられる。その中で預言者は、神の義が根を下ろすようにと呼びかける。神の義が出発点なのである。それぞれの正当性の主張はあろうが、まず正義のもとに共に生きる、という視点が大切なのである。地上に生きる民として主の御心に生きなければならない。他者を押しのけていないか点検が必要である。自分勝手は御心ではない。神の御言葉を聞き取り続けなければならない。「義に飢え渇く人々」として共に生きよう。
(要約:太田好則)
