◇13節の「祈祷師」は、「悪霊祓い師」という意味である。彼らは呪文の一つとして「イエスの名」を使っていた。これに対して悪霊は「イエスは認識している。パウロも熟知している。」と言う。さらに「お前たちに悪霊に立ち向かうような力があるとは認めない。」と言う。そして、あっという間に7人をおさえつけ、彼らの上着を裂き、傷を負わせて追い出したのである。
◇エフェソには、アルテミスという女神を祭る巨大な神殿があり、魔術や呪術で満ち満ちた町であった。しかしこの事件のことを聞いて、主イエスの名を崇めるようになった。魔術、呪術に効果がなく、イエス様こそ力ある方だということを信じた。職業的魔術師たちも、関係する書物を持ってきて公衆の面前で焼き払った。昨日まで頼っていた書物に価値がないことを認め、イエス様に従って生きることにこそ意味があることを認めたのである。価値観の大転換である。
◇18節は「すでに信仰生活を送っていた者たちの多くが自らの悪行を告白した。」と訳せる。私たちは洗礼を受けたから罪に対して無警戒で良いということではない。信仰者であっても過ち、罪を犯す。だから教会に来て、あるいは祈りの中で罪を打ち明けることが必要である。イエス様は、「よし、よく罪を認めた。これから新たな力を与えるから、しっかり生きるように!」と言ってくださる。罪の重荷を下ろすことができる。そしてイエス様に「よし、永遠の命に入りなさい」と言っていただけるのである。こうして福音を信じる者が増え、目に見える力となって働き、私たちの生活の中で効果をあげ続けたのである。
◇イエス様は私たちを打ち砕かれることはない、いやむしろ助けてくださる。イエス様に委ねることが重要である。イエス様は「あなたの心の断捨離を、私が手伝ってあげよう」と言ってくださるかもしれない。また「あなたは無理をしなくていい。私がなんとかする」と言ってくださるかもしれない。イエス様の声に耳を傾けながら生きていくことが大切である。
