2025/07/20 「私はすでに世に勝っている」ヨハネによる福音書16:25~33 牧師 古屋治雄

◇主イエスは、ご自分がこの世から去って行くと弟子たちに繰り返し語ってこられた。そしてそれは悲しむべきことではあるが、喜びへと変えられることを語ってこられた。十字架の死の後に復活され再び弟子たちに会ってくださることは、主イエスがこの世から選び出してくださった者のみが経験する苦しみと、新に与えられる喜びである。
◇弟子たちは主イエスから出産のたとえを聞いた後、「これで、あなたが神のもとから来られたと、私たちは信じます。」(30節)と語っている。主イエスの御心をしっかり理解したようにも思えるが、主イエスは「今、信じると言うのか。見よ、あなたがたが散らされて、自分の家に帰ってしまい、私を独りきりにする時が来る。いや、すでに来ている。」(16:31-32)と、ここでの信仰をそのままには受け入れておられない。つまり、弟子たちの告白には、“世を去って父のもとに行く”ことが欠落していると言わざるを得ないからである。この世を去って行くということは、主イエスが十字架につけられ死なれることを指す。そのことを受けとめることなく神のもとから主イエスが御子として来られたことだけを信じる信仰は、本当に主イエスを知ることにはならず、また御子をお送りくださった父なる神を知ることにならないからである。
◇「今、信じるというのか」と、厳しく弟子たちの信仰を問い返された主イエスだが、間髪を入れずはっきりと「しかし、私は独りではない。父が、共にいてくださるからだ。これらのことを話したのは、あなたがたが私によって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。私はすでに世に勝っている。」(16:32-33)と語ってくださっている。私たちは自分の弱さを自覚しつつ、その私たちをたえず励まし、神の平和の中に生きる者としてくださった父なる神と、御子イエス・キリストと、私たちに注がれている真の霊に感謝して、地上の歩みを進んで参りたいと願う。