◇6章のパンの奇跡の後、イエス様の言葉につまずき、多くの弟子が去って行った。この時ユダも、ペトロらと共に踏みとどまり、「イエス様は永遠の命の言葉を持っておられる」と共に告白している。ユダも間違いなくイエス様に選ばれた弟子なのである。 ◇ユダはなぜ、主を裏切ったのか。会計を担当しながら不正をしていたことが発覚したから、という説や、これは悪魔の業で、ユダは判断力を失った、特殊な心理状態にあった、という説はあまりに短絡的である。弟子たちはロボットのような存在ではなく、皆、イエス様の呼びかけに共感し、応答して弟子になったのである。この時急にサタンに乗っ取られたのではない。
◇パンの奇跡で人々は、イエス様を尊敬し、王的なメシアと見て期待を高めていた。だが彼らは、永遠の生命の保証ではなく、パンの保証を求めていた。神様の御心を知ろうとせず、神様の新しい支配が来ることを信じなかった。今は肉体をもって生きている私たちも、神を畏れ、神の生命に生きる者となろうとしているか、日々問われている。 ◇12章の香油の出来事で、この女性を非難したのはユダであった。しかし私たちの生活の現実を考えれば、弟子たちは皆、同じ思いであった。皆がイエス様に王的メシアとして、あるいは社会変革者としての期待を抱いていた。だがユダが決定的に違っていたのは、自分の期待するメシア像をイエス様に押しつけ、具体的に行動を起こした点である。イエス様がパン切れを浸してユダに与えられたことで、その主導性の内に、ユダの裏切りの行動が始まる。
◇ユダの姿は私たちの姿でもある。目に見える幸や安定を求め、御心を尋ね求めることができず、地上的な生き方をしてしまう私たちがいる。しかし、裏切りの11人も、十字架と復活の後、主の証人として、福音を宣べ伝える者とされたではないか。選ばれた私たちは、闇の中に光を灯す者とされているではないか。この恵みの主イエスを見上げて歩もう。
