2022/12/18「ガダラの人を癒す」 マタイによる福音書8:28~34信徒伝道者 李 暁静

ー待降節第4主日礼拝ー

マタイによる福音書8:28~34
信徒伝道者 李 暁静

◇「ガダラ人を癒す」この物語は、他の癒し物語とちょっと違う癒し物語である。

◇物語の中の悪霊に取りつかれたこの二人は特別に不幸であったかもしれないが、この二人の現実は、現代社会に生きる私たちの姿と重なることが多い。

◇イエス様の到来は神の国の到来、神の支配の開始であるが、神の国はいまだに完成していない。ガダラの地は、悪霊が自由に力をふるう世界であったように、私たちの世界もまた、悪霊に支配されている世界である。世の終わりまで、神の国が完成されるまで、悪は存在し続ける。イエス様は悪に支配されているガダラの地に、私たちのところに来られた。

◇イエス様は悪霊どもに、「行け」と言われると、「悪霊どもは二人から出て、豚の中に入った。すると、豚の群れはみな崖を下って湖になだれ込み、水の中で死んだ」。悪霊はイエス様の言葉によって滅ぼされた。

◇しかし、ガダラの町の人たちは仲間が癒されたことを喜ばなかった。この出来事を知った彼らはイエスに、「その地方から出て行ってもらいたい」と言った。その理由は二つある。一つは、自分たちの財産である豚を失ったことである。彼らにとって、一人の人間の救いよりも豚の群れが死んだこと、経済的損失を被ったことの方が重要だったのである。もう一つは、彼らがイエス様の権威を、神の救いの恵みを見出すことができなかった。

◇ガダラの二人を救うために、豚の群れが犠牲になった。救いには犠牲が必ず伴う。私たちを救うために、神が払われた犠牲とは、イエス・キリストの十字架の死である。クリスマスの日に、神は御子キリストを、この悪に支配され罪に苦しめられている私たちのところに送ってくださった。イエス様は私たちの罪をすべてご自身の上に引き受け、十字架にかかって死んでくださった。私たちはイエス様の十字架の死と復活の恵みによって罪が赦され、永遠の命を希望とし、神の平安のうちに生きることができる。

◇この救いの恵みを覚え、感謝しつつ、主のご降誕の日を待ち望みたい。