2023/02/05 「配慮し合う群れ」コリントの信徒への手紙一12:121~26 牧師 古屋 治雄

◇年度末に入り、教会がキリストのからだとされて神様の働きを担い、発揮していくことができるように皆で準備を進めている。教会の一人ひとりは神様から霊的な励ましが注がれ、恵みに応えるよう促され、キリストから霊的の実を結ぶ者とされている。

◇パウロは主の教会には聖霊が注がれていることを、コリント教会の人々に懇ろに呼びかけ、教会全体を人間の身体に喩える(12節)。体のそれぞれの部分に優劣をつけるのではなく、相互にかけがえのない役割を負っていることを説き、それぞれ他と比較して競い合うのではなく、どんな部分でも固有の部分として位置づけている。「体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです」(22節)とさえ語っている。

◇12節で、パウロはキリストご自身が教会の中に働き、活きてくださっていることを信じて、教会が「キリストの体」というより、敢えて「キリストそのもの」の働きをここで語っている。パウロは私たちを弱き者と断定せず、「弱くみえる」部分と言っている。しかし、キリストがそのような私たちを引き立ててくださり、神様の栄光を現す者へと変えてくださることをパウロは知っている。

◇どんな団体でも調和と有機的な連動性が求められ、さらには自らの失敗を修正していく努力をする。しかし、主の教会がうまくやっていけるかどうかが私たちの人間的な配慮の仕方に拠るものではない。主の教会に結ばれている者には霊的な賜物が注がれているとパウロは語る。この霊的な賜物とは、私たちが主イエスの十字架の御許に集められ、その主イエスを私たちの全存在をかけて見上げる時、主から注がれる霊的な力である。

◇キリストが私たちを招いてくださり、神様の働きを担う者としてくださった。私たちは互いに配慮し合い、苦しみを、また主に仕える喜びも共有する、調和のとれた主の群れとなることができる。2023年度に向けてそのような歩みを共に歩もう。 (要約:李 暁静)