キリスト教Q&A

Q1 阿佐ケ谷教会は何派の教会?

Q2 そもそも教会ってどんな所?

Q3 教会は何をするところ?

Q4 キリスト教の教えとは何?

Q5 キリスト教の神とは?三位一体とは何?

Q6 旧約聖書、新約聖書とは?

Q7 洗礼はいつ受けたらいいの?


Q1 阿佐ケ谷教会は何派の教会?

A1 日本にあるキリスト教会のほとんどはカトリックかプロテスタントのいずれかですが、阿佐ケ谷教会の属する日本基督教団はプロテスタントの教会です。
 十六世紀の宗教改革以来プロテスタント教会は欧米で長老教会・組合教会・メソジスト教会と様々な教派を生み出しながら展開しましたが、日本基督教団は1941年に当時日本にあったそれらの教派の教会が合同して出来た教会です。
でも何派であろうと同じイエス・キリストを救い主と仰ぐ信仰に違いはなく、同じ一つの教会といえます。

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Q2 そもそも教会ってどんな所?

A2 阿佐ケ谷教会は大きな教会の一つです。会堂も広く、聖歌隊もパイプ・オルガンもあります。でも、そうしたものは教会の本質ではありません。
元々「教会」とは日本語として当てはめられた言葉で、新約聖書が書かれたギリシア語では「呼び集めること」という意味です。「神様の選びによって建てられ、キリストの名によって集められた群れ」、それが「教会」なのです。
 そうした意味で「阿佐ケ谷教会の基本姿勢」は教会がどんなところかを表しています。教会の建物も組織も、この「見えない神の教会」が具体的に目に見える形をとったものなのです。

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Q3 教会は何をするところ?

A3 阿佐ケ谷教会には地域毎、年齢毎の交わりの集会があり、また社会に対する奉仕にも取り組みますが、教会はボランティア団体ではありません。もちろん社交団体でも趣味のサークルとも違います。
 神様の召しによって建てられた教会の第一のつとめは、この神様を礼拝し、そのことによっての神様の救いの業を宣べ伝えることです。教会の交わりや奉仕の業は主イエスを通して神様が示されたの愛の発露であるのです。

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Q4 キリスト教の教えとは何?

A4 「キリスト教は教えというよりは生き方、道だ」と言う人がいます。確かに聖書に記される主イエスの言葉は教えよりむしろ呼びかけや問いかけです。
 主イエスは「わたしは道であり真理であり命である」(ヨハネ14.6)と言われます。父と子と聖霊なる神を信頼し、神を仰いでこの道を歩んで行く生き方がキリスト教という宗教なのです。
 ですから教会では道という言葉を用いて、キリスト教の福音を宣べ伝えることを「伝道」と言い、信仰を求めておられる方を「求道者」と言っているのです。

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Q5 キリスト教の神とは?三位一体とは何?

A5 私たちは三位一体の神を信じていると使徒信条で述べています。
「天地の造り主であり父なる神」、「十字架のあがないによって救いを成し遂げられた子なる神イエス・キリスト」、「今も私たちの間にあって働かれる聖霊なる神」。この三つの神が、実は一つの神様の持つ三つの面(位置)であるというのが三位一体の意味です。
 三つの面をもって人間に向かって働き愛を示して下さる一つの神様を私たちは信じているのです。だから礼拝の終わりの祝祷(しゅくとう)で牧師は「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わり」が私たちと共にあることを祈るのです。

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Q6 旧約聖書、新約聖書とは何?

A6 聖書は「旧約聖書」と「新約聖書」から成ります。聖書が証しする主イエス・キリストの誕生前を「旧」、その後を「新」としています。「約」というのは「契約」という意味でこの書物の性格をよく表しています。
ちょっと読めば分かりますが、聖書はキリスト教の系統だった教えや理論を記したものではありません。むしろ神と人間との出会いの歴史を記した書物です。
具体的には旧約は紀元前2000年頃からの、新約は紀元二世紀位までの文章で中心的舞台は今の中東の辺りです。歴史において人間と関わり、人を愛して救い、ご自分の民として選び導く神様の働きを記したものなのです。
 聖書は今を生きる私たちにも語りかけ、神との出会いと神への信仰に導く生命を持っている書物です。

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Q7 洗礼はいつ受けたらいいの?

A7 神様の招きに応えて教会の一員となるための儀式[聖礼典]を洗礼と言い、この洗礼を受けた者は礼拝の聖餐式(せいさんしき)[聖礼典]でキリストの体と血であるパンと杯を受けます。教会にとってこの二つの聖礼典は、み言葉の説教と共に大切にされているものです。
 信仰は個人の信念や心情以上に神様を信頼し、神様に応えて歩む生活そのものです。そして洗礼は信仰生活のスタートです。神様の愛と救いと招きを受け、キリストの体である教会を形作る信徒としてこの教会の群れに加わって欲しいといつも心から願っています。
 洗礼を受けるには決断と、備えの時が必要です。どうぞいつでも牧師を訪ねご相談下さい。

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