阿佐ヶ谷教会の歴史

1924(大正13)年2月10日(日) 当時のキリスト教の指導者の一人であった平岩愃保(よしやす)牧師が自宅朝谷小山荘に「エス教友団」の最初の集会を開きました。関東大震災のため一時中止していた基督教の講話を再開し、伝道の復興とともにこれを教会設立の記念日と定めました。当時は「朝谷教会」と呼ばれていました。
1933(昭和8)年7月26日平岩愃保永眠。教会は解散の危機を迎えます。その後の指導者佐々木高明も翌年1月16日逝去し、教会の危機はますます深まりました。1月24日(水)中断していた祈祷会を再会。この祈祷会が、朝谷教会の復活の転機となります。
1934(昭和9)年2月11日(日) 教会創立10周年を機に日本メソヂスト教会へ加入。教会名を「日本メソヂスト朝谷教会」とします。
1934(昭和9)年9月23日 大村勇牧師着任。最初の説教が行われます。
1935(昭和10)年3月 教会の名称を「阿佐ヶ谷教会」とします。
1941(昭和16)年6月24日(火)日本基督教団成立。教会の正式名称は「日本基督教団阿佐ヶ谷教会」となります。加藤照子伝道師就任。
1944(昭和19)年 教会創立20周年記念礼拝、記念講演会。出席学徒動員等の若き兄弟らの壮行祈祷会がたびたび開かれました。吉村庄一副牧師就任。
1945(昭和20)年4月13日 教会付近に爆弾が落下し、ガラス80枚が破損。5月25日教会も火の粉をかぶります。太平洋戦争では4名の教会員を失いました。
1945(昭和20)年8月 終戦を迎え、その直後22-27日に大村勇牧師は広島へ罹災見舞いに出かけます。
10月7日(日)には総員礼拝がもたれ、聖餐式が執行されます。
その際の大村勇牧師の説教題は「教会の基底 ― 方舟は浮かべり」でした。当時の週報には、「玄関の木犀の香り高い秋晴れの好天気、約一年ぶりに五〇名を越ゆる礼拝が守られ、聖餐式に於て新しく信仰に生くる喜びを与えられました。この世にとって審判の洪水も信仰の方舟には、高く浮かぶ恵の波です(創世記七・一七)。・・・加藤信子姉のオルガンも聞かれました。」とあります。
このころから、長老会、教会学校教師会が教会再建への努力を始めます。
つづく・・